インターネットは「無限の知識の泉」です。それが「無限」である所以は、回線の向こうに「全世界の人間」がいるからです。インターネット回線を通じてコミュニケーションをとる相手は自分と同じように日々何かを考え、生きているものです。それらの人々がインター上に集積させる知識は、「世界のすべて」といってもいいくらいです。
それらの情報を場所も境遇も関係なく参照できるインフラがインターネットです。それを利用してコミュニケーションをとることで、私たちは違う国に暮らす人、同じ国に生きているけれど全然違う生活を送る人を「知る」ことができます。何か分からないことがあったらインターネットを用いて調べることができます。もし検索しても満足のいく答えが見つからなかった場合、今度はインターネットを通じてコミュニケーションをとっている人に「聞いてみる」ということができます。そのようなことを通じて、「知りたい」ということを1つずつ解消することが出来るのです。
世界の知識は「文字」を利用した「文章」で集積されています。古くから醸成されてきた哲学も、最新の宇宙工学も、「文章」で集積されています。インターネットの基本は「テキスト情報」です。チャットにしても、掲示板にしても、「テキスト」を基本として私たちは情報を判断します。「書く」ことはアウトプット、そして読むことは「インプット」です。私たちは常に「言葉」を巧みに操って暮らしています。そして、それが私たち人間が「文明」を維持している「根幹」でもあるのです。私たちの言葉や文章は国によって違えど、私たちはそれを乗り越える「知識」を有しています。たとえすべての国の言葉を一人の人間がしらなくても、それをマスターしている誰かが「翻訳」し、それを共有することで違う国の知識を得ることができます。私たちは自然とそれぞれの役割を果たし、全人類の宝となる膨大な情報の担い手となっているのです。
その取り組みはインターネットを介して顕著になり、膨大な情報、知識が集約されたデータベースが整備され、私たちは「知の泉」としてのインターネットを最大限活用することを覚えたのです。インターネットはその利用方法によってはまったく知らなかったことを改めて知るツールとして活用できるものです。私たちはこの技術に感謝すべきであり、決して悪用すべきではないのです。一人ひとりができること、考えられることは少なくても、それが集積されることで大きな知識になる。それが体現されるのがインターネットです。私たちがよりよい生活を送るため、日々の悩みを解決するため、難しい問題を解決するために活用できるのがインターネットです。私たちが日々「記す」テキストが集合し、人類の大きな知識に発展することを実感しましょう。検索すれば表示されるということは、誰かがそれをインターネット上に配信したということなのです。それをいつでも参照できる便利さ、そして自分もその一端を担っているという責任を、あらためて考えることで、よりよいインターネット環境が構築されます、インターネットの情報は与えられるものではなく、自分も「参画」して作り上げているものだということを忘れてはいけません。
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